海外赴任で、中国へ引っ越し。荷物の保管はどうする?

パスポート

3月といえば、引っ越しシーズン。ということで、今回は趣向をちょっと変えてお届けします。

引っ越しといえば準備ですが、しんどいですよね。特に長く住んでいたところから動くとなると、思い出もたくさんできたけれど、いつの間にか徐々に増えていた荷物の量に愕然とするかと思います。しかも、捨てるには惜しいものばかりだったりして。

そんな訳で、荷造りも遅々として進まなかったりもします。やはり、ここは心を鬼にして、なるべくスリムになるべく思い切って捨てていく!・・・いや、でも、それも大事ですが、そればかりが良しとも思えません。

実は、私は中国に住んでいたことがあり、帰国引越しの際、日系の引越し業者など頼めなかったので、荷物はEMSで送るか機内持ち込みで持ち帰ることしかできませんでした。なので、どうしても荷物を減らさなければならず、それこそ涙をのんでいろいろなものを処分しました。一番捨てたのは、やはり中国で買った洋服ですね。お気に入りのものばかりでしたが、もうこの歳で着てたらおかしいかな?もう10年も着てるしいい加減捨て時かな?とか、理由をつけて泣く泣くゴミ袋に入れていったものです。

そうして、かなり荷物は整理でき、中国より無事に帰国の途につけた訳ですが、日本で気楽に暮らしている今、そう言えばあの服、どこいったかな?とごそごそ衣装ケースの中をひっくり返してみたりします。あれ?おかしいな?どこに仕舞ったんだっけ?と散々あちこち探し回った挙句「あ!中国で捨てたんだった・・・」と思いだし、途方に暮れるのでした。

情けないですが、こういうことしょっちゅうなんです。なので、ものを処分する時は、後々こんな思いをするかもしれないこと、覚悟しておくことをおすすめ致します。

実際、中国は観光ではなく、家を引き払っての海外赴任や長期出張などで滞在されるビジネスマンの方も多いようです。
そんな人達によく相談をうけるのが、荷物の保管。家財一式となると実家においてもらうわけにもいかず、悩みどころです。

そんな荷物保管について、私がおすすめするのが、こちらの記事で紹介されている引っ越し業者の預かりサービスです。

ご覧いただければ分かる通り、事情を問わず、引っ越し荷物を長期に渡って保管してくれるようです。
もし、このような予定があるなら、ぜひ、一度、料金や保管の期間などを調べてみてください。

紹興―魯迅の小説を読みながら紹興酒をいただく贅沢

「わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中で故郷に近づくに従って天気は小闇くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。おお!これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。」

魯迅

魯迅の名作「故郷」の冒頭です。中学校の国語の教科書に採用されているので印象に残っている方も多いでしょう。

魯迅といえば清代末期から中華民国初期の中国を鋭い目線で描写した大作家として有名ですが、そんな彼の「故郷」が浙江省の紹興にあります。

紹興は杭州や上海からほど近い小さな町です。町の中心部に魯迅の生まれ故郷があり、魯迅故里として整備されています。

さっそく中に入りましょう。とても伝統的な建物が並んでいます。白い壁に黒い屋根瓦というどこか日本に似ているような気がします。

それもそのはず、紹興など浙江省の建物は江南建築といい、日本の建築はここから多くを学びました。なんだか懐かしい気分になるわけです。

さてそんな美しい街並みの中で一際目立つ家があります。黒い大きな引き戸を開けて観光客に開放されているので中に入ってみましょう。ここは魯迅祖居といい、魯迅の実家だそうです。

「得壽堂」

と大書された広い客間があり、魯迅の一族がもと名家であったことを偲ばせます。

同じ通りに同じような色合いですがコンクリートでできたさらに大きな建物があります。これこそが魯迅故里の目玉、紹興魯迅記念館です。

入り口をくぐれば巨大な魯迅先生像が出迎えてくれます。展示物も見応えがあります。
「藤野先生」や「阿Q正伝」など代表作の原稿、さらには日本留学時代の学校の卒業証書などもあり、魯迅の生涯を詳しく知ることができます。

文学や建築ばかりではつまらないと思う方もいるでしょう。ご安心ください。もちろん紹興にも名物があります。

紹興は言うまでもなく紹興酒の産地です。紹興酒は米から作る醸造酒で、アルコールはおよそ15度、何年も寝かせた老酒になると天井知らずの値段で取引されます。

紹興酒

魯迅故里やその他至る所で売られているので飲み比べるのも良いでしょう。甕を開けると強烈なお酒の匂いがしますが、飲んでみると驚くほどすっきりしており、いくらでも飲めそうな気がしてきます。(とはいえ飲み過ぎにはご注意ください)

お酒があるならおつまみもあります。茴香豆(ウイキョウまめ)はそら豆を茴香という香辛料で炊いたもので、この地方の特産品です。
日本でいう枝豆のような立ち位置ですが、スパイシーな香りで輪をかけてお酒が進みます。茴香豆は「孔乙己」など魯迅の小説にも度々登場します。魯迅故里にはそのまま「孔乙己」という店があり、様々な茴香豆が売られています。

また、「臘腸」という塩辛いソーセージのような食べ物も浙江省の名物で、やはり紹興酒によく合います。お酒好きには天国ですね。

文豪と酒豪の街、紹興。魯迅の小説を読みながら紹興酒をいただくゆったりした中国旅行はいかがでしょうか。

泉州―中国発アラブ行き。「海のシルクロード」の起点

ディズニー映画でもおなじみ、アラジンの出身地はどこでしょう。答えは中国です。アラビアンナイトの原作には中国で母親と暮らしていた貧しい青年とはっきり書かれています。
つまり中国からアラブ世界へと旅立つ物語だったのです。そこで今回は中国とアラブをつなぐ街、泉州をご紹介します。

アラジン

泉州は福建省の真ん中、台湾のちょうど向かい側にある港町です。中国と西域を結ぶルートといえば西安や敦煌を通るシルクロードが有名ですが、泉州はマラッカ海峡を通ってインドやアラブ諸国に通じる海のシルクロードの起点です。

それでは泉州でアラブの面影を探しましょう。まずは街中にある清淨寺に向かいます。いかにも歴史のあるお寺という名前ですが、実は清淨寺は中国最初のイスラム寺院、モスクです。
西暦1009年にインドやアラブから来た商人が建立した立派なイスラム建築です。中国初のモスクはもちろん東アジア初のモスクですが、イスラム教はラクダに乗ってではなく海を渡って東アジアに伝来したことになりますね。
ちなみに日本初のモスクは二十世紀建立の神戸ムスリムモスクだそうです。中国は日本より千年近くも早くイスラム世界と交流していたのです。

さてその清淨寺、建物自体も美しいのですが細かい部分も見ものです。正門の上にはアラビア語で、

「アラーの名の下に」

と書いてありモスクらしさを演出していますが、部屋の中には中国語で

「認主獨一」

と書かれた額もあります。主をただ一人と認めよ、つまり

「アラーの他に神は無し」

というイスラム教徒にとって大事な言葉の中国語訳です。また境内には明の永楽帝が出した信仰の自由を保障する勅令を刻んだ石碑も残っています。意外と寛容だったんですね。

清淨寺は古跡として一般開放されていますが、すぐ隣にはちょうど千年後の2009年にオマーン政府が出資して建立された現役のモスクもあります。イスラム教は泉州の地にしっかり根付いているのです。

もう一つ泉州でイスラムを感じられる場所として海外交通史博物館があります。名前の通り中国と海外の交流をテーマにした博物館です。

中国における船舶の発展史を模型で展示しておりとても見応えがあります。中でも特に注目すべきは鄭和の艦隊です。
明の永楽帝は鄭和を隊長とする大艦隊を東南アジアやインド、アラブ、果てはアフリカのケニアにまで派遣して交易を行っていました。
この鄭和艦隊もここ泉州から世界各地へと旅立ったのです。当時は西洋諸国がアフリカのことを暗黒大陸などと呼んでいた時代です。
なぜ鄭和にだけこのような大航海ができたのでしょう。それは鄭和がイスラム教徒だからです。泉州を出発してマラッカ、インド、ペルシャ、アラブとイスラム教圏を渡り歩いて旅を続けたのです。
ここ海外交通史博物館にはそんな鄭和の艦船と足跡が詳しく紹介されています。

また併設されているイスラム文化陳列館では中東から泉州を通して伝来した文物が紹介されています。入り口にはイブンバットゥータの像があります。
イブンバットゥータはモロッコ出身の冒険家で、1345年にここ泉州を訪れたとされています。

中国人の鄭和がケニアへ、モロッコ人のイブンバットゥータが中国へ、こうした壮大な旅ができたのはイスラム教という共通文化とアラビア語という共通言語が一つの世界を築き上げたからなのです。

イブン
そしてここ泉州は中国、東アジアからイスラム世界へ飛び込む入り口です。あなたもこの街を訪れて新しい世界a whole new worldを冒険してみませんか。驚きと感動が待っているはずです。

大連―日本、ロシア、中国が作り上げた街

日本に住む中国人は増加の一途をたどりその数は六十五万人を突破しましたが、近年新しく移住してきた中国人のうち東北地方、特に大連出身者がかなりの割合を占めるそうです。

これは大連と日本が明治以降特別深い関わりを持ったことに起因します。今回は遼寧省大連市で日中の近代史に触れる旅行にご招待します。

大連は中国東北地方の入り口、朝鮮半島の付け根にある遼東半島の先端に位置します。歴史の授業で習った遼東半島を覚えていますか?1895年日清戦争に勝利した日本が清国に割譲を要求しますが、ロシアなどの三国干渉でやむなく領有を諦めた土地です。

ところがその三年後にロシアが遼東半島の先端を租借し、ダルニーと名付けました。これに怒った日本は日露戦争後のポーツマス条約で当地を租借し、大連と改名しました。大連は中国日本ロシアが入り乱れる街なのです。

 

それでは大連で日本やロシアの面影を探しましょう。

大連の中心に中山広場という巨大なロータリーがあります。これは元々ロシアが建設したもので、ここを中心に放射状に伸びる道路は大連の都市設計の基礎になりました。

碁盤の目のように道路が交差する中国の伝統的な都市との違いは一目瞭然です。十本もの大通りを束ね、ヒト、モノ、カネが集中し離散していく様は都市の躍動感を肌で感じさせてくれます。

中山の名前は言うまでもなく孫中山、すなわち孫文を表します。

ロータリーを建設したロシアでしたが、ロシアが実際に大連を統治したのは日露戦争までの五年弱に過ぎず、周囲の官公庁や銀行など大きな施設はほとんど日本が建設しました。

官公庁として最初に建設されたのが旧民政署です。赤煉瓦の壁で中央に時計塔を配したデザインで、どこか北欧を思わせる見た目です。現在は遼寧省の貿易庁が使用しているそうです。

民生署より更に目立つのがヤマトホテルです。

大連こちらも洋風建築ですが、なんといっても客室数115という当時としては圧倒的な巨大さに驚かされます。現在も大連賓館としてそのまま使われており、近代国家としての誇りを持ち始めた当時の日本の雰囲気を味わうことができます。

ちなみにここ大連は終戦後日本からソ連が引き継いで十年間統治したため国共内戦の影響受けずに済み、そのためこうした歴史的価値のある建築群も破壊されることなく今に至っています。

また大連の郊外には日露の激戦地として有名な旅順があります。小高い丘の上から旅順港を一望でき、秋山真之将軍が古い船を海底に沈めてロシア軍の軍艦の港内進入を防いだという戦術の素晴らしさを地形の面から確認できます。

さらに一番激しい攻防戦が行われた203高地には現在記念碑が建っており、乃木希典将軍の揮毫で「爾靈山」、つまり爾(=汝)の霊の山と刻まれています。先人の霊に手を合わせて今の平和に感謝してみてはいかがでしょうか。

侵略だ軍国主義だと叩かれることの多い戦前の日本ですが、その一方で今の中国人がこうした日本やロシアの作り上げた都市設備を大切に守り、使い続けていることも事実です。大連を訪れて日本と中国の関わりをいろんな面から考えてみるのも面白いでしょう。

大連

南京―孫権から孫文まで、歴史上の大スター勢揃いの街

中国は歴史上何度も王朝が変わっており、その度に都も変わっています。では歴史上王朝の都になった回数が一番多い街はどこでしょうか。

答えは南京です。南京は十国の都と呼ばれるように、三国志の呉や洪武帝の明朝、さらには太平天国や中華民国など数々の支配者が君臨した街なのです。

南京 ではそんな南京で古代から近代まで中国の歴史を一度に体感してみましょう。

まずは中国の歴史をおさらいするために南京博物院を参観しましょう。南京博物院は北京の故宮博物院と並ぶ巨大博物館ですが、国立なので参観は無料です。

大中華帝国は地大物博の国、という面子は今も根強く残っています。そもそも南京博物院が建てられたのも、ここ南京を首都とする中華民国がその威厳と正統性を誇示するためです。

そのため収蔵品は本当に豪華絢爛です。歴代王朝の高官の衣装などは華やかで見ているだけで楽しくなります。三国時代の遺物から日中戦争の遺品まで、日本人が興味を持ちそうな品物が全て揃っています。

また南京博物院の建物自体も明朝のもので、漢民族王朝の威風を今に残しています。さらに南京博物院がある公園の入り口の門は中山門といい、歴史の教科書に出てくる日本軍南京入城の写真の場所だそうです。展示物だけでなく、場所自体が歴史の生き証人なのです。

さて歴史の復習も済んだので都を巡ってみましょう。先ほどの博物院からほど近いところに明故宮公園があります。

明故宮とは明朝の宮殿跡のことです。残念ながら宮殿そのものは消失していますが土台が残っており、宮殿の間取りが詳しく記されているので当時の皇帝の生活を垣間見ることができます。

南京

また現在は公園として整備されているので市民の憩いの場になっており、近所のご老人が凧を揚げたり独楽を回したりしています。こういった遊びを正月ではなく普通の日に、また子どもではなく老人が行っているのも中国らしい風景ですね。

お次は中山陵です。これは中国で国府として崇められている孫中山、すなわち孫文のお墓です。小高い丘の上に石造りの巨大なお堂がそびえ立ち、正に南京の象徴と言える存在です。

孫文は数千年に及ぶ皇帝による支配体制を終わらせ、近代的な国民国家である中華民国を打ち立てた功績で知られています。

その孫文が自ら制定した首都南京で、皮肉なことですが、まるで皇帝のように祀られています。

墓に入ったら墓標の裏側に注目してください。通常墓標の裏には生前の輝かしい功績を書き並べるものですが、孫文の墓標には何も書かれていません。

伝説によると墓標製作を依頼された石工は、孫文の功績があまりにも偉大すぎるので書き表すことができず、空白のまま残すことにしたそうです。空白であることにも意味があるのです。

またお堂の入り口には孫文の言葉が刻まれています。三つに別れた入り口にそれぞれ民族、民権、民生とあります。

これは中華民族、国民主権、国民の生活の三つを最重視する孫文の三民主義の精神です。お堂の上に書かれている天下為公という言葉は孫文が礼記から引用したもので、天下は公民のためにある、という意味です。

孫文の思想はその後の中国の指導者全ての指針となっています。

古代から近代まで数多くの人物が夢見た都、南京。あなたも皇帝になった気分で都入りを果たしましょう。

嘉興―荒々しい大自然の驚異と貴族の風流を併せ持つ小都市

川の水は海へ向かって流れる。常識ですね。ところがここは中国、日本の常識が通用しない国です。今回は海水が川を逆流する驚異と神秘の街、浙江省嘉興(かこう)市をご紹介します。

嘉興市

嘉興は上海のすぐ隣にあり杭州方面の電車に乗ればわずか数分で到着します。上海の近くを流れる銭塘(せんとう)の河口に位置する小さな街です。

銭塘は対岸が霞んで見えるほど大きな川で、普段は絶えることのない穏やかな流れが中国の遥かな大地を思わせる立派な大河です。

しかし毎年旧暦八月の満月の日だけ何かの復讐と言わんばかりに突然海水が猛烈な勢いで銭塘に逆流してきます。

これが嘉興の海嘯(かいしょう)です。周辺の複雑な地形と大潮が銭塘へ向かう海流を形成するそうです。海嘯の力は凄まじく、河口の堤防を軽々と乗り越えて一面水浸しにしてしまいます。

日本人には想像もつかないような光景に圧倒されること確実です。地元民はギリギリまで近づいて水に打たれるのを楽しんでいますが、慣れない旅行者はくれぐれも安全に気をつけて離れたところから鑑賞してください。

なお同様の現象はアマゾン川でも見られるそうですが、地球の裏側のブラジルより嘉興の方が遥かに行きやすいですね。

まるで台風のような恐ろしい自然現象のお話をしましたが、嘉興には雅な一面もあります。

銭塘から少し離れたところにある南湖という湖は、杭州の太湖や蘇州の西湖のように雄大な景色を眺めて平和な時を過ごす名勝地です。

柳が垂れる湖岸に腰掛けて湖に浮かぶ船を眺める。なんと風流な景色でしょう。

ところでその湖に浮かぶ屋根付きの小さな木造船をよく見てください。南湖紅船という名前がついています。

ここでいう紅とは中国共産党のことで、南湖紅船は1921年に毛沢東らが第一回共産党全国代表大会を開き、中国共産党の成立を正式に発表した記念すべき船なのです。そのため南湖は革命発祥の地とされており、南湖紅船は別名革命記念船とも呼ばれています。

何かと怖いイメージがつきまとう中国共産党が、しかも非合法組織として地下活動を行っていた時代にまるで往時の貴族のような風雅を持ち合わせていたなんて少し意外ではないでしょうか。

ところで嘉興は嘉興粽子と呼ばれるちまきでも有名です。ちまきは国や地域によって形も味も全く異なります。例えば狭い台湾でも北と南では作り方が違いますし、日本のちまきに至っては甘いお菓子になっています。

粽

嘉興はもち米を三角形に詰めて茹で上げた中華ちまきの発祥地です。醤油漬けの豚肉や豆、煮卵を入れたものもあり、かなり濃い味付けなのに重たくはない絶妙の味加減です。多くの店が自慢のちまきの味を競い合っているので一個ずつ買って食べ比べてください。

嘉興は一見目立たない地方都市ですが、実は多くの側面を合わせ持つ魅力に溢れた街です。旅行や仕事で上海へお越しの際は、是非お隣の嘉興まで足を伸ばしてみてください。

福州―中国では有名な老街「三坊七巷」を擁する街

中国語に老街という言葉があります。伝統的な建物が残る旧市街のことです。戦前の面影を残す台湾の九份老街などは日本でも有名ですね。
もちろん中国にも老街がたくさんあります。今回は中国では有名な老街の一つ三坊七巷を擁する街、福建省の福州をご紹介します。

福州

中国の老街は「老」のレベルが違います。ここ三坊七巷の街が形成されたのは唐代。八世紀中頃の安史の乱を避けて儒学者たちが移り住んだのが始まりで、悠に千二百年以上の歴史を誇ります。
三坊七巷には当時の街並みが残っているのです。八世紀といえば日本が盛んに遣唐使を派遣していたころです。阿倍仲麻呂が見ていた景色をこの二十一世紀に自分の目で直接見られるのです。

早速三坊七巷を散策しましょう。古民家の並ぶ路地を抜けると中心の南後街に入ります。
南街は街並みの美しさもさることながら福州の美食が集まっていることでも有名です。地元民の友人に教えてもらった福州料理の中で特に美味しかったものを厳選してご紹介します。

まず絶対に外せないのが肉燕です。豚肉と魚肉を混ぜた餡入りのワンタンです。プリップリの食感がたまりません。

次に魚丸もお勧めです。魚丸とは魚のすり身団子のことですが、福州魚丸は団子の中に肉の餡が入っているのが特徴。こちらも肉と魚を両方味わえる贅沢な料理です。

喉が乾いたら橄欖汁を飲みましょう。橄欖とはオリーブのことで、橄欖汁はオリーブのジュースです。オリーブってどんな味か想像できますか?
甘酸っぱいすっきりした味わいです。油を取るだけじゃなかったんですね、オリーブ。

お腹が満たされたところでもう一度南後街の街並みを見渡してください。木造二階建ての伝統的な建物に赤い提灯を吊るしていかにも中国風ですが、正面の屋号をよく見ると「星巴克咖啡」。これ、スターバックスコーヒーです。
もしも唐代にスタバがあったら、という空想を見事に現実化しています。もう一つ同じような木造家屋にどこか見覚えのあるMのマーク…。そうですマクドナルドです。マクドもしっかり唐代仕様です。

また南後街にはお茶屋さんもあります。福建省は烏龍茶の産地として有名ですね。烏龍茶もぜひ飲んでいただきたいところですが、ここ福州はジャスミン茶の名産地でもあります。
ジャスミンといえばディズニー映画アラジンのヒロインの名前ですし、昨今のジャスミン革命などもあって中東のイメージが強いと思います。

実際ジャスミンはアラブからムスリム商人を介して中国に伝わりました。泉州の項目でもご紹介したように、福建省はアラブ世界と中国の交差点です。

ジャスミンティー
アラブのジャスミンと中国のお茶がここ福州で出会い、香り高いジャスミン茶が誕生したのです。ぜひここ福州で二つの文明が織り成す香りを楽しんでください。

福州は日本ではあまり有名な観光地ではありませんが、千年もの長きにわたって伝統文化をしっかり受け継いできた街なのです。
あなたも日出ずる国を飛び出して、壮大な歴史ロマンを肌で感じてみませんか。

大型荷物について

ところで、大きな荷物を送るときに、どうしたらいいか悩んだことはありませんか。
中国への海外赴任などで、そのような悩みを抱えている人も多いと思います。そこでこんなサイトをみつけました。

海外にいる家族や友人に荷物を送る場合や、またはネットショップを経営していて、海外への発送も受け付けているなど、外国に大きな荷物を送る機会は意外とあるものです。

引用元:荷物を送る。宅急便より安い料金で、大型荷物を送る方法!

この記事では、飛脚国際宅配便をはじめとした、海外への大型荷物を輸送法のほか、国内での大きな荷物を送るやり方が網羅されています。
もし、海外赴任で中国に荷物を送りたい、あるいは国内でもなにか大型荷物の悩みがあれば参考にどうぞ。

コロンス島(鼓浪嶼)―廈門一番の見所をのんびり散策

中国というと何を連想するでしょうか。万里の長城、兵馬俑、あるいは三国志など、数千年に及ぶ歴史を思い浮かべる人が多いと思います。

そんな中国ですが、実は西洋風の近代建築が立ち並ぶ街もあります。今回は中国とヨーロッパが融合する不思議な街、廈門(アモイ)をご紹介します。

廈門は福建省最大の街で、成田空港や関西空港からも廈門国際空港行きの直行便が就航しています。ちなみに廈門空港は日中戦争中に日本軍が建てた空港で、当時は日本領だった台北からの定期便がありました。廈門は日本とも縁の深い街なのです。

コロンス

廈門で一番の見所はコロンス島(鼓浪嶼)です。島中全てが昔の洋館という中国らしからぬ街並みは見逃せません。廈門自体が一つの島(廈門島)ですが、コロンス島はそのすぐそばに浮かぶ小さな島で、廈門市街地から渡し舟がひっきりなしに往復しています。

レンガ

アヘン戦争後の南京条約で廈門が開港されて以降英国をはじめ各国が進出し、この地にこぞって領事館を開設しました。

まずは英国領事館を見てみましょう。赤いレンガ造りのお洒落な建物です。香港の旧警察署のように、レンガ造りの英国建築は百年経っても少しも色褪せない気品があります。

次は日本領事館です。1898年に完成した、こちらもレンガ造りの荘厳な建築です。東京駅や鹿鳴館のように、当時の日本は文明開化の象徴として西洋風の建物を盛んに建設していました。そのためすっかりコロンス島の街並みに溶け込んでいます。

この他にも薄い青色の壁が可愛らしいドイツ領事館も残っており、今は改装されてレストランになっています。

さて少し歩き疲れたので休憩しましょう。島内には洋館をそのまま利用したカフェなどがたくさんあります。

廈門など中国南方では西米露というサゴ椰子とココナッツミルクを使ったデザートをよく見ます。小さい粒なのにしっかり弾力のあるサゴ椰子と上品な甘さのココナッツミルクが合わさった飽きない美味しさです。

コロンス

また島内の露店では椰子の実にストローを挿して売っており、海を見ながら椰子ジュースを飲むというリゾート気分も味わえます。さらに金銀包という中華まんや牡蠣餅という小粒の牡蠣を使った揚げ物も売っており、ヨーロッパ、東南アジア、中国の雰囲気を同時に楽しむことができます。

日本から四時間で行けるヨーロッパ、廈門。北京や上海のような大都市とは一味違う中国旅行はいかがでしょうか。まるで地中海に浮かぶ島のような街並みをのんびり散策すればあなたもきっと廈門の虜になるはずです。

廈門本島―思明北路とその周辺を散策

前項では廈門(アモイ)一の観光地コロンス島をご紹介しました。しかし廈門の魅力はまだまだあります。今回は廈門本島とその周辺をご案内します。

コロンス島行きのフェリー乗り場からほど近いところに思明北路という大通りがあります。ここも西洋風の建物が並んでいる調和のとれた美しい街並みです。建物をよく見ると二階部分が下の歩道に被さるようにせり出しており、雨に濡れずに出歩くことができます。こうした建築を騎樓と呼び、福建省や台湾、マレーシアなどでよく見られます。

中山路

※写真は廈門の中山路

これらの地域では夏の昼間に西北雨(サイパッホー)と呼ばれる激しい通り雨が降るため、歩道の屋根は本当に重宝します。

ここ思明北路は洋服店やレストラン、映画館などが並ぶ廈門の繁華街です。高級ブランド店の狭間に創業百年を誇る菓子屋などが残っており、中国らしい伝統もしっかり感じられます。

オイスター

今では廈門は国内外の多くの人を惹きつける大都市ですが、かつては多くの華僑移民を輩出する「僑郷」として知られていました。現在福建省にルーツを持つ華僑華人は世界に一千万人いるとされており、そのうちかなりの人口が廈門港から東南アジアなど方々へと旅立ちました。

そんな華僑の歴史を詳しく学べるのが廈門の華僑博物館です。廈門から英領マラヤに移住し、ゴム園経営で成功した華僑の陳嘉庚が寄付して設立された華僑博物館はとても立派で、手前の広場も綺麗に整備されています。

内部は東南アジアで肉体労働に従事し必死に生きてきた華僑一世や、その子孫が成功し繁栄した様子、また日本の華人学校である神戸中華同文学校の教科書なども展示されています。華僑華人が少し身近に感じられますね。

ちなみにここ華僑博物館をはじめ中国の国立博物館はどこも無料で見学できます。強力な政府の意外な恩恵です。

また廈門は対岸の台湾とも縁の深い街です。廈門島の東側に大嶝島(ダイトウ島)という島がありますが、ここは国共内戦の激戦地でした。1949年に国民党軍はこの島を失い台湾に撤退、勝利した共産党軍はこの島を占領し、戦勝記念公園として整備して大々的に勝利を宣伝しています。

公園では国共内戦がいかに壮絶な戦いであったかを展示していますが、戦争はすでに過去の話となり、平和な現在では公園の向かいに台湾免税公園というショッピングエリアが作られました。

国民党軍を台湾に追いやった記念すべき島ですが、今ではその台湾の製品を免税で販売する特区に生まれ変わりました。廈門旅行のついでに台湾の商品まで購入できる、一粒で二度美味しいエリアです。大嶝島は廈門本島と橋で繋がっており、市街地から直行バスが出ています。

中国、西洋、東南アジアに台湾、あらゆる文化が一つに凝縮された街、廈門。あなたもぜひこの街でお手軽世界旅行を体験してください。

金門島①―金門島は中国?台湾?内戦が続いているのに平和な島

大阪府から京都府へ入るのに手続きは要りません。電車でもバスでも、歩いてでも自由に出入りできます。ところが福建省廈門市から同じ福建省の金門島に入るにはビザとパスポートが必要です。どういうことでしょう?

パスポート 金門島は廈門から目に見える位置に浮かぶ小さな島ですが、現在この島を統治しているのは中国政府ではなく台湾政府なのです。今の台湾政府とは、かつて全中国を統治していた中華民国政府です。しかし内戦の結果中華人民共和国が成立し、もとの中華民国政府は台湾に撤退しました。この時、金門島は新しい政府に占領されることなくもとの中華民国政府が守り通したので、廈門との間に事実上の国境線ができました。

台湾の旗

とはいえ今は両政府の関係も改善しており、廈門と金門島を結ぶフェリーも就航しています。また日本のパスポートがあれば中華人民共和国にも台湾(中華民国)にもビザ無しで入国できるので、渡航の心配は要りません。

それでは島に上陸しましょう。まず目に入るのは至る所に大書してあるスローガンです。

「三民主義統一中国」

「解救大陸同胞」

など内戦時代の雰囲気がそのまま残っています。

内戦をより深く体験したいなら島の北端にある馬山観測所がお勧めです。中国大陸に一番近い場所にあり、もとは「敵情」を視察するための施設でした。現在は一般開放されており、日本ではなかなか見られない軍事施設の内部を見学できます。

もう一つのお勧めは島の西側にある中華民国福建省政府です。省政府とは名ばかりで、実際には台湾側が実効支配している金門県と連江県しか管轄しておらず、しかもそれぞれの県政府が実際の業務を行っているため省政府は象徴としての存在に過ぎません。

省政府は海の近くに建っており、肉眼で対岸廈門市の市街地に建つ高層ビルが見えます。対岸に近いので当然かつてこの地は軍事要塞でした。事実上停戦した現在では雄獅堡という要塞が保存され、一般開放されています。対岸に向けた大砲がそのまま残っています。台北に避難していた福建省政府も実質停戦後の1998年にこの地に再建され、実務機能は無いものの平和の象徴のような役割を果たしています。

また金門島が軍事上の要衝となったのは近代の話ではなく、古くは清朝の時代にも軍の駐屯地がありました。この「金門鎮総兵署」は現在も残っており、福建、台湾地区で唯一現存する清朝軍事遺跡だそうです。

小さな島なのに歴史上の超重要拠点である金門島。あなたも一度訪れてみてはいかがでしょうか。

金門島②―軍事化が生んだ思わぬ特産品「お酒」と「包丁」

前編では金門島がいかに重要であったかをお話ししました。軍事拠点というと何やら怖いイメージですが、実はこの軍事化が思わぬ効果を生み、他地域には無い特産品を作り出しています。後編では金門島の名物をご紹介します。

毛沢東

金門島一番の名産品はなんと言ってもお酒です。孤島で敵軍の砲撃にさらされて、となればお酒でも飲まないとやっていられませんね。金門島は中国南部では珍しい高粱(コーリャン)酒の産地です。

高粱とはモロコシのことで、主に乾燥、寒冷、広大な土地の中国北方で栽培されています。温暖多雨で土地の狭い南方は稲作が主なのですが、ここ金門島は降水量が少なく稲作には不向きな土地です。そこで代わりに高粱を栽培しています。そして中国北方から撤退してきた兵士がこの高粱を使って蒸留酒を作り始めました。これが昨年の中台首脳会談でも供されたと言われる金門高粱酒です。

さて気になるお味ですが、強いです。とにかく強いです。一般的な金門高粱酒はアルコール58度。日本の焼酎より遥かに高いですね。それでも強烈なアルコールの中にすっきり爽やかな高粱の風味が広がり、とても気持ちの良い飲み心地です。

現地人から見れば邪道ですが、ロック、水割り、お湯割り、さらにはグァバなど現地の果物ジュースで割っても美味しくいただけます。日本人だから邪道でも良いんです。

ちなみに国の政策で離島はあらゆる商品が免税なので上質な高粱酒が安く手に入ります。酒税のかからない酒どころ。なんと魅力的な島でしょう。

もう一つの名産品が包丁です。島で生産されている包丁、金門菜刀にも数奇な歴史が秘められています。包丁

中国の内戦が一段落したころ、最高指導者毛沢東は全国の人民に鉄鋼を生産するよう号令を出します。これがいわゆる大躍進政策です。1958年から約三年で1100万トンもの鉄を生産しました。

同じ時期の1958年八月に毛沢東は金門島を支配すべく砲撃を始めます。ところがこの砲戦は長期化し、中国軍は人民が生産した鉄を使ってなんと二十年間も大砲を撃ち続けました。

しかし金門島住民も逃げ惑うばかりではありません。毎回の砲撃が終わると翌日にその砲弾を拾い、打ち直して包丁に仕立て上げたのです。これが金門包丁の起こりです。この包丁には戦火に晒されながらも逞しく生きる金門島住民の魂が宿っているのです。現在では島の特産品として包丁やハサミなど様々な刃物を売り出しています。中国人民の血と汗と、金門島民の熱意がこもった金門包丁、お土産に一本持って帰ってはいかがでしょうか。もちろんこちらも免税です。

このほか中国では珍しいブランド肉の金門牛など、金門島は他には無い名産品の宝庫です。ぜひご自身の目で、舌で、金門島独特の歴史と風土を体感してください。

汕頭(スワトウ)―広東と福建の狭間で独自の料理文化を誇る街

皆さん中華料理は好きですか。餃子、拉麺、春巻き、焼売、麻婆豆腐…想像しただけで涎が出てくると思います。

みんな大好き中華料理ですが、地方によって全然違うということは日本でも有名ですね。広東料理や四川料理は日本にも多々あるので、たまにはちょっと変わった中華を食べてみませんか?

そこで今回は広東と福建の狭間で独自の料理文化を誇る街汕頭(スワトウ)をご紹介します。

汕頭と隣の潮州を合わせて潮汕地区と呼び、地理的には広東省に属すものの言語など文化的にはお隣福建省の閩南(ビンナン)文化圏に属しています。また潮汕地区は東南アジアとの交流も盛んなので、広東、福建、タイ、マレーシアなどの料理文化が融合して独自の潮汕料理が生まれたのです。

中華料理

 

では汕頭食べ歩きの旅を始めましょう。一番のお勧めは牛肉丸麵です。

牛肉丸麺

その名の通り牛肉の肉団子が入った麺料理です。弾力のあるジューシーな肉団子がごろごろ入っており、塩ベースのスープも体に良さそうな味で最後まで美味しくいただけます。汕頭駅前の宿に泊まった時に店主が作ってくれたのですが、あまりに美味しかったため翌日街中でもう一回食べたほどです。汕頭名物だけに町中至る所にあります。

麺料理からもう一つ、クエティアオもお勧めです。漢字では粿條(米へんに果)と書き、米粉で作った平たい麺です。牛肉丸麵と同じようなスープ麺もありますが、エビと卵を使った豪快な焼きそばタイプも絶品です。

またクエティアオをワンタン状に切った物をクエチアップ(粿汁)と呼び、こちらは胡椒の効いたスープで食べるのが主流のようです。クエティアオはタイやマレーシアでもよく見かけますが、これらは全て潮汕地区出身の華僑が現地に持ち込んだもので、こちらが本家本元です。

ご飯ものもあります。潮汕地区には天津甘栗を入れた炒飯があり、板栗炒飯と呼びます。ちょっと意外な組み合わせですが、中華風栗ご飯と言えばイメージしやすいでしょうか。汕頭では立冬の日(十一月初め)にこの板栗炒飯を食べる習慣があるそうです。ホクホクアツアツの栗はここ汕頭でも秋の味覚なのですね。もちろん立冬以外の季節でも街中の食堂で食べられます。

また汕頭は海辺の街なので海鮮料理も豊富です。中でも牡蠣を使った多彩な料理が有名です。小粒の牡蠣を猛烈な火力で焼き上げた卵焼き、蠔烙(オーロッ)はいかにも汕頭らしい一品です。

オイスター

そのまま食べても牡蠣の風味が効いていて美味しいのですが、この地方では沙茶(サテ)と呼ばれるインドネシアから伝わったピーナッツ風味のソースをかけてもまた違った味を楽しめます。蠔烙に似ていますが片栗粉でとろみをつけて卵とじにした蠔爽(オーソアン)もご飯が進む最高のおかずです。

無限のバリエーションを誇る中華料理。あなたも汕頭で中国四千年の伝統の一端に触れてみてはいかがでしょうか。