紹興―魯迅の小説を読みながら紹興酒をいただく贅沢

「わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中で故郷に近づくに従って天気は小闇くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。おお!これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。」

魯迅

魯迅の名作「故郷」の冒頭です。中学校の国語の教科書に採用されているので印象に残っている方も多いでしょう。

魯迅といえば清代末期から中華民国初期の中国を鋭い目線で描写した大作家として有名ですが、そんな彼の「故郷」が浙江省の紹興にあります。

紹興は杭州や上海からほど近い小さな町です。町の中心部に魯迅の生まれ故郷があり、魯迅故里として整備されています。

さっそく中に入りましょう。とても伝統的な建物が並んでいます。白い壁に黒い屋根瓦というどこか日本に似ているような気がします。

それもそのはず、紹興など浙江省の建物は江南建築といい、日本の建築はここから多くを学びました。なんだか懐かしい気分になるわけです。

さてそんな美しい街並みの中で一際目立つ家があります。黒い大きな引き戸を開けて観光客に開放されているので中に入ってみましょう。ここは魯迅祖居といい、魯迅の実家だそうです。

「得壽堂」

と大書された広い客間があり、魯迅の一族がもと名家であったことを偲ばせます。

同じ通りに同じような色合いですがコンクリートでできたさらに大きな建物があります。これこそが魯迅故里の目玉、紹興魯迅記念館です。

入り口をくぐれば巨大な魯迅先生像が出迎えてくれます。展示物も見応えがあります。
「藤野先生」や「阿Q正伝」など代表作の原稿、さらには日本留学時代の学校の卒業証書などもあり、魯迅の生涯を詳しく知ることができます。

文学や建築ばかりではつまらないと思う方もいるでしょう。ご安心ください。もちろん紹興にも名物があります。

紹興は言うまでもなく紹興酒の産地です。紹興酒は米から作る醸造酒で、アルコールはおよそ15度、何年も寝かせた老酒になると天井知らずの値段で取引されます。

紹興酒

魯迅故里やその他至る所で売られているので飲み比べるのも良いでしょう。甕を開けると強烈なお酒の匂いがしますが、飲んでみると驚くほどすっきりしており、いくらでも飲めそうな気がしてきます。(とはいえ飲み過ぎにはご注意ください)

お酒があるならおつまみもあります。茴香豆(ウイキョウまめ)はそら豆を茴香という香辛料で炊いたもので、この地方の特産品です。
日本でいう枝豆のような立ち位置ですが、スパイシーな香りで輪をかけてお酒が進みます。茴香豆は「孔乙己」など魯迅の小説にも度々登場します。魯迅故里にはそのまま「孔乙己」という店があり、様々な茴香豆が売られています。

また、「臘腸」という塩辛いソーセージのような食べ物も浙江省の名物で、やはり紹興酒によく合います。お酒好きには天国ですね。

文豪と酒豪の街、紹興。魯迅の小説を読みながら紹興酒をいただくゆったりした中国旅行はいかがでしょうか。

泉州―中国発アラブ行き。「海のシルクロード」の起点

ディズニー映画でもおなじみ、アラジンの出身地はどこでしょう。答えは中国です。アラビアンナイトの原作には中国で母親と暮らしていた貧しい青年とはっきり書かれています。
つまり中国からアラブ世界へと旅立つ物語だったのです。そこで今回は中国とアラブをつなぐ街、泉州をご紹介します。

アラジン

泉州は福建省の真ん中、台湾のちょうど向かい側にある港町です。中国と西域を結ぶルートといえば西安や敦煌を通るシルクロードが有名ですが、泉州はマラッカ海峡を通ってインドやアラブ諸国に通じる海のシルクロードの起点です。

それでは泉州でアラブの面影を探しましょう。まずは街中にある清淨寺に向かいます。いかにも歴史のあるお寺という名前ですが、実は清淨寺は中国最初のイスラム寺院、モスクです。
西暦1009年にインドやアラブから来た商人が建立した立派なイスラム建築です。中国初のモスクはもちろん東アジア初のモスクですが、イスラム教はラクダに乗ってではなく海を渡って東アジアに伝来したことになりますね。
ちなみに日本初のモスクは二十世紀建立の神戸ムスリムモスクだそうです。中国は日本より千年近くも早くイスラム世界と交流していたのです。

さてその清淨寺、建物自体も美しいのですが細かい部分も見ものです。正門の上にはアラビア語で、

「アラーの名の下に」

と書いてありモスクらしさを演出していますが、部屋の中には中国語で

「認主獨一」

と書かれた額もあります。主をただ一人と認めよ、つまり

「アラーの他に神は無し」

というイスラム教徒にとって大事な言葉の中国語訳です。また境内には明の永楽帝が出した信仰の自由を保障する勅令を刻んだ石碑も残っています。意外と寛容だったんですね。

清淨寺は古跡として一般開放されていますが、すぐ隣にはちょうど千年後の2009年にオマーン政府が出資して建立された現役のモスクもあります。イスラム教は泉州の地にしっかり根付いているのです。

もう一つ泉州でイスラムを感じられる場所として海外交通史博物館があります。名前の通り中国と海外の交流をテーマにした博物館です。

中国における船舶の発展史を模型で展示しておりとても見応えがあります。中でも特に注目すべきは鄭和の艦隊です。
明の永楽帝は鄭和を隊長とする大艦隊を東南アジアやインド、アラブ、果てはアフリカのケニアにまで派遣して交易を行っていました。
この鄭和艦隊もここ泉州から世界各地へと旅立ったのです。当時は西洋諸国がアフリカのことを暗黒大陸などと呼んでいた時代です。
なぜ鄭和にだけこのような大航海ができたのでしょう。それは鄭和がイスラム教徒だからです。泉州を出発してマラッカ、インド、ペルシャ、アラブとイスラム教圏を渡り歩いて旅を続けたのです。
ここ海外交通史博物館にはそんな鄭和の艦船と足跡が詳しく紹介されています。

また併設されているイスラム文化陳列館では中東から泉州を通して伝来した文物が紹介されています。入り口にはイブンバットゥータの像があります。
イブンバットゥータはモロッコ出身の冒険家で、1345年にここ泉州を訪れたとされています。

中国人の鄭和がケニアへ、モロッコ人のイブンバットゥータが中国へ、こうした壮大な旅ができたのはイスラム教という共通文化とアラビア語という共通言語が一つの世界を築き上げたからなのです。

イブン
そしてここ泉州は中国、東アジアからイスラム世界へ飛び込む入り口です。あなたもこの街を訪れて新しい世界a whole new worldを冒険してみませんか。驚きと感動が待っているはずです。