大連―日本、ロシア、中国が作り上げた街

日本に住む中国人は増加の一途をたどりその数は六十五万人を突破しましたが、近年新しく移住してきた中国人のうち東北地方、特に大連出身者がかなりの割合を占めるそうです。

これは大連と日本が明治以降特別深い関わりを持ったことに起因します。今回は遼寧省大連市で日中の近代史に触れる旅行にご招待します。

大連は中国東北地方の入り口、朝鮮半島の付け根にある遼東半島の先端に位置します。歴史の授業で習った遼東半島を覚えていますか?1895年日清戦争に勝利した日本が清国に割譲を要求しますが、ロシアなどの三国干渉でやむなく領有を諦めた土地です。

ところがその三年後にロシアが遼東半島の先端を租借し、ダルニーと名付けました。これに怒った日本は日露戦争後のポーツマス条約で当地を租借し、大連と改名しました。大連は中国日本ロシアが入り乱れる街なのです。

 

それでは大連で日本やロシアの面影を探しましょう。

大連の中心に中山広場という巨大なロータリーがあります。これは元々ロシアが建設したもので、ここを中心に放射状に伸びる道路は大連の都市設計の基礎になりました。

碁盤の目のように道路が交差する中国の伝統的な都市との違いは一目瞭然です。十本もの大通りを束ね、ヒト、モノ、カネが集中し離散していく様は都市の躍動感を肌で感じさせてくれます。

中山の名前は言うまでもなく孫中山、すなわち孫文を表します。

ロータリーを建設したロシアでしたが、ロシアが実際に大連を統治したのは日露戦争までの五年弱に過ぎず、周囲の官公庁や銀行など大きな施設はほとんど日本が建設しました。

官公庁として最初に建設されたのが旧民政署です。赤煉瓦の壁で中央に時計塔を配したデザインで、どこか北欧を思わせる見た目です。現在は遼寧省の貿易庁が使用しているそうです。

民生署より更に目立つのがヤマトホテルです。

大連こちらも洋風建築ですが、なんといっても客室数115という当時としては圧倒的な巨大さに驚かされます。現在も大連賓館としてそのまま使われており、近代国家としての誇りを持ち始めた当時の日本の雰囲気を味わうことができます。

ちなみにここ大連は終戦後日本からソ連が引き継いで十年間統治したため国共内戦の影響受けずに済み、そのためこうした歴史的価値のある建築群も破壊されることなく今に至っています。

また大連の郊外には日露の激戦地として有名な旅順があります。小高い丘の上から旅順港を一望でき、秋山真之将軍が古い船を海底に沈めてロシア軍の軍艦の港内進入を防いだという戦術の素晴らしさを地形の面から確認できます。

さらに一番激しい攻防戦が行われた203高地には現在記念碑が建っており、乃木希典将軍の揮毫で「爾靈山」、つまり爾(=汝)の霊の山と刻まれています。先人の霊に手を合わせて今の平和に感謝してみてはいかがでしょうか。

侵略だ軍国主義だと叩かれることの多い戦前の日本ですが、その一方で今の中国人がこうした日本やロシアの作り上げた都市設備を大切に守り、使い続けていることも事実です。大連を訪れて日本と中国の関わりをいろんな面から考えてみるのも面白いでしょう。

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